2010年5月30日日曜日

Beijing, May (3)


煉瓦の建物の向こうにはCCTVが建ち、CCTVの奥には鉄骨がむき出しの碑と化しているTVCC。過去と未来と現在。それらは常に同時に存在しながらも、お互いに一定の距離をとる。不謹慎ではあるが、なんとも刺激的な姿が北京の中心で見られる。
(23 May, Beijing)

2010年5月27日木曜日

London, May (3)


毎日通勤で使う地下鉄駅のポスター張替え時に見えた地肌。駅の110年の歴史を物語る年輪のような模様。人口のもの、それも商業関係のものはしばしば軽蔑の対象となるが、一世紀という時間はポスターのはぎ残しにすら人為を超越したような迫力を与える。人工物も、長い時間を経れば自然の造形物に近づいてゆくのだ。
(27 May 2010, London)

2010年5月23日日曜日

Beijing, May (2)



建外SOHOからみんなよく行く大食堂への途中の路上には、服や果物、植物、手帳、CDが売っていたり、さまざまな機能がミキシングされた状況を目にする。彼らは自転車でやってきて、昼時を過ぎるとさっといなくなる。こんな短時間の売り上げで食べていけるのだろうか。うらやましいな。なんて心配しながら、とても自然なプログラム配置に感心する。(17 May 2010,Beijing)

2010年5月21日金曜日

London, May (2)



「踏まないで下さい。僕らは育とうとしているんです!」
ロンドンの公園はどこも綺麗な芝生で埋められているが、そのほとんどは自然のものではなく人口のものだ。芝生マットみたいなものが運ばれ、敷き詰められているのをみると、何か「ごめんなぁ」と思ってしまう。自然を飼いならしている罪悪感。しかし同時に、飼いならされた自然の象徴である都市公園の心地よさもよく知ってしまっている。
(21 May 2010, London)

2010年5月16日日曜日

Beijing, May (1)



自転車を挟んで老人が二人座っている。荷台の上には碁盤の目状に赤い線が引かれた木製の板と駒。ルールのわからない賭けごとしている。碁盤の目状に道路が走る北京のまさにその上で、人々はなんのことはなく賭けごとをやる。たくましい限りの光景と同時に都市への疑問が浮かび上がる。本当に都市の計画などできるのだろうか。
(16 May 2010, Beijing)

2010年5月13日木曜日

London, May (1)



観光客で賑わうピカデリーサーカスの裏路地では、大規模な再開発がすすんでいる。古い建物の構造は全て壊され、純白の鉄骨が新たに立ち上がろうとしている。しかし、繁華街に近い面は昔の表情を保つために、ファサードだけ保存されている。皮をはいで剥製を作っているようで、設計に携わるモノとしてあまり良い気分はしないが、建築的ロボトミーがはっきり見てとれる瞬間だ。
(15 May 2010, London)