2010年11月2日火曜日

Beijing, November (1)



It is natural that people are everywhere. Some of them are alone while some are in groups, some are intimate while some are standoffish, some are taking rest but some are moving. Where I stand is this side, of course, not the other side. However in this case, I will be recognized as an outsider to them. It means that the effect of their side influences this side, so even though I am on this side, I realize that I have some consciousness on the other side as well. It makes an involved person and an outsider at the same time, as well as allowing exchange between them.

あたり前だが、いたるところに人はいる。一人であったり、集団であったり、親密だったり、よそよそしかったり。休憩中だったり、移動中だったり。僕が立っている場所は当然向こう側ではなく、こちら側である。しかし、この場合、彼らにとって僕は部外者として位置づけられる。その効果はこちら側にまで及び、こちら側であるにもかかわらず、僕は向こう側にいることが認識される。当事者と部外者をつくり、かつその交換を可能にするものについて。

(November 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年10月2日土曜日

Beijing, October (1)


Beijing has been suffered from perpetual traffic congestion. In this city, the main aim of urban design is to solve problems such as atmospheric pollution and gridlock, rather than to make a beautiful city. Although this junction is purely made as a tool to mitigate traffic jams, it is also blessed with certain beauty when we look down. There is a form, but it is not a space. It feels that something is missing if we look the city only by its form. Nevertheless, it is definitely beautiful. I am looking for somewhere to compromise this conflicting feeling.

慢性的に渋滞が発生している北京における都市の問題とは、美しい街並みをいかに保存するか/つくるかではなく、大気汚染や交通問題が主題とされ、「解決」のために計画が進んでいく。このジャンクションも明確な交通問題を解決/防止するために計画されただけにもかかわらず、俯瞰した際の美しさを併せ持つ。しかしそこには形態はあれど空間はない。都市にむかう視座は形態だけでは物足りない。しかし美しい。この矛盾する感覚の着地点を探している。

(September 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年9月27日月曜日

London, September (2)


Continuing some aspect of gated community. Most of buildings in London are gated and the reason is obviously for security. Most windows at the ground level are iron-barred. When I started working at the architectural office, my boss said ‘this house does not work in London’ when I made a scheme of a house with bedrooms on the ground floor. It seems natural here to have bedrooms at upper levels where are more secured.
However if we go outside of the city for just 30 min by train, we can see peaceful British suburbs where there is no gate nor grilled window. The ideal life for British people seems that working and playing hard in the city when they are young, then spend quiet and calm time at suburbs.


ゲーテッドな街の構成の話が出たので、それに関連して。ロンドンも市街は完全にゲーテッドな建物ばかりで、それは主に防犯上の理由だ。地上階の窓は大抵鉄格子で覆われている。事務所に来て最初の頃、一階に寝室を配する設計をしたら、ボスに「こんなの駄目だよ」と言われた。寝室は安全な2階以上に配すというのが当たり前の感覚のようだ。
しかし電車で30分も郊外に出ると、非常に長閑なイギリスらしい家々が立ち並ぶ風景に出会える。ここには柵もゲートも鉄格子もない。若いうちは都市部でバリバリ働き・遊び、年老いてからは安全な郊外で静かに過ごすというのがイギリス人の理想のようだ。

(September 2010, London by Hiroshi Takeyama)

2010年9月22日水曜日

Beijing, September (2)


北京では塀に囲まれた集合住宅をよく目にする。塀に囲まれていない場合は、一階は生活用品店や飲食店、煙草屋、散髪屋、成人保健(adult shop)等で構成されている。四合院か城郭都市の流れからか、目に見えてゲーテッドコミュニティを反映したつくりになっている。それでいて閉鎖的な雰囲気を感じないのは、住宅の構成とは別の理由(中国人はオープンな気質?)か、僕が全くのよそ者だからか、ただ鈍感なのか。いずれにせよ、構成とそこに漂う空気は別物なのかもしれないことを感じ始めている。

(September 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年9月19日日曜日

Riga, September (1)


ラトビアの首都Rigaに行ってきた。東欧はプラハ以来二回目だが、東欧の街には特有の寂しさが感じられる。不均一な石畳と剥がれかけのペンキというのがまず目に付くが、そのようなフィジカルな特徴では説明しきれない虚無感が漂っている。華やかであった中近世の栄光が、亡霊のように街にとりついているかのようだ。

(September 2010, Riga by Hiroshi Takeyama)

2010年9月14日火曜日

Beijing, September (1)



「九号温泉」の看板の手前まで続く建材市場の石材区。他には木材やサッシュ、ドアハンドル、工具などが手に入る。建材市場には、設計に携わる人間に限らず、マンションを購入した夫婦らも内装材を調達しに来る。数学や物理と同様に建築は全ての人間が関係者である。建築をつくることに直接関われる場所が市内に幾つもあるのは興味深い。とは言え、ここで夫婦らが見ていたのは、建築というよりはIKEAで扱われる家具のように彩りを添えるもの。僕たちはこの日、都市に彩りを添える外装材の検討をしていた。

(September 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年8月25日水曜日

London, August (1)



僕の務めている事務所はリフトもない古いビルの最上階にある。僕がよく一人で休憩している屋上からの眺めだが、こうして見ると、やはり日本の街とは全く表情が異なっている。茶色い煉瓦と煙突。日常からみた都市の差異を観察するのがURLの目的だが、犬の目では見えない都市像というのも、やはり確実に存在する。
(23 August 2010, London, by Hiroshi Takeyama)

2010年8月23日月曜日

Kure (Japan), August (1)



今回は番外編で、地元広島県呉市について。戦時中は人口40万人を越える軍港都市だったが、現在は24万人。しかし、40万人時に整えられたインフラや、開発の手が及んだ斜面地など、当時の住宅はほとんど残ってはいないものの、斜面地に住む流れは続いている。改めて日本は平坦な土地が少ないと思う。反面、変化に富んだ都市を構築可能なわけだ。日本の総人口が縮小に向かう現在、呉市は一足先に縮小化が進んでいるはずである。他の都市の模範になるような都市像を夢想する日が続く。

(22 August 2010, Kure by Taketo Nagaoka)

2010年7月20日火曜日

London, July (3)



ヌーヴェルによる今年のサーペンタイン・パヴィリオン。柔らかな緑を切り裂く、真紅のシャープなオブジェ。緑に溶け込むような去年のSANAAのアプローチと好対照をなしている。溶け込ますか、切り裂くか。どちらも自然と対峙する建築のあり方として美しい。
(16 July 2010, London, by Hiroshi Takeyama)

2010年7月18日日曜日

Beijing, July (2)



IKEAに行ってきた。エントランスを入るとエスカレータで3階まで登り、3→2→1と降りていくよう計画されている。途中で後戻りのできない一方通行の動線計画は、買うか買わないかの決断を迫るショッピング空間としては感心する一方、まず寝室を想像し、次はキッチンを想像し、リビングを想像し、子供部屋を想像し、ペットのことを想像するように強要されていることに違和感を覚える。あるいは購入者はショッピングを楽しむのではなく、しっかりと計画を立て、計画通りに用事を済ませるのだろうか。

(11 July 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年7月13日火曜日

London, July (2)



東ロンドンのDocklandという場所に住んでいる。その名の通り、かつては大量の帆船が停泊していた港だが、現在はロンドン随一の新興商業地域となり、近代的なビルが次々立ち上がっている。いくつか残されたクレーンは、皺だらけの老人のような寂さを湛えている。昔の機械が人間のように思えることが多いのは何故だろうか。
(10 July 2010, London, by Hiroshi Takeyama)

2010年7月7日水曜日

Beijing, July (1)




オルドスの郊外。やがて、政府による用途計画に基づき、公共施設や商業施設、住宅が建設されるのだろう。政府→建築家ではなくディベロッパー→建築家という流れのなかで、商業施設の公共性について、建築家は真面目に考える必要がある。生活者としての都市の中心は、官庁街ではなく、三里屯や西単のような商業地域なのだ。
(29 June 2010, Ordos by Taketo Nagaoka)

2010年7月4日日曜日

London, July (1)



中古を安く買って以来、自転車で外出することが多い。街を見るのに自転車は本当に快適だ。徒歩では遅すぎるし、車では早すぎる。が、シティの古い町並みは細い道ばかりで一方通行が多く、頻繁に迷子になってしまう。そんなとき建物の影からSt. Paulのドームが現れると、途端に街と自分の関係が把握可能になる。
(3 July 2010, London, by Hiroshi Takeyama)

2010年6月28日月曜日

Beijing, June (3)



日常的に言葉に置き換えられるのは、建物自身ではなく、建物がどういう情報を持つかである。○○の看板のある‥、と言ったり、△△の店の向かいの‥、など建物自身は相対的には生活の中であまり情報を持ち得ていない。しかし、微細に見れば真っ白で素気なく立っているビルも決して無表情ではない。ヒルベルザイマー(計画)かハチ公(アイコン)かでだけはない、情報過多な時代における建物の公共性という点で一考の価値がありそうである。
(27 June 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年6月25日金曜日

London, June (3)



芝生と舗装路の間に敷き詰められている緩衝材(らしきもの)。公園の芝生は元々カーペットみたいなもので、端をめくられると禿げてしまうので、これで防いでいるのだろう。ぱっと見は人口と自然の境界のようだが、実際はどちらも人の手によって作られている。
(21 June 2010, London by Hiroshi Takeyama)

2010年6月20日日曜日

Beijing, June (2)



庭を取り囲む伝統的な住宅形式である四合院。多くの人で賑わう世界最大の広場である天安門広場は無料で利用できる。農村であった地を整備した朝陽公は入場に5元(年間パス80元)が必要である。北京に来てこの2ヶ月で訪れた限りでは、庭は無料で特定の人々で共有され、広場は無料で不特定多数の人と共有され、公園は有料で不特定多数の人と共有されるようだ。
(15 June 2010, Beijing, by Taketo Nagaoka)

2010年6月14日月曜日

London, June (2)



交通の要所であるためロンドンのヘソと言われるトラファルガー広場は、街で一番社交的なイベントの会場でもある。集会やコンサート、仮説スクリーンでのサッカーやオペラ中継など、様々なイベントが年間通じて催される。ここではチケットを買う必要もなく、多くの人が買ってきたワイン片手に自由に楽しんでいる。無料であることと、平等であること。それが公共空間の本質かもしれない。
(8 June 2010, London)

2010年6月10日木曜日

Beijing, June (1)

これまではランダムに撮った写真をアップしてきましたが、これからしばらくテーマ制を導入してみようと思います。共通したテーマを持ちながら異なる都市の日常を撮ることで、その差異性を浮き上がらせることができるのではないかと期待しています。一、二ヶ月やってみて、最後にまとめとして論考を書いてみる予定です。

第一回のテーマは「公園」です。
このテーマに沿った一枚目が北京から届きました。



左手に椅子を、右手に煙草を持ち横断歩道を渡る老人。向こうの集まりに行くのか、それとも帰るのか。陽炎のように儚くはない、繰り返される都市のアクティビティ。現れては消えるのか、消えては現れるのか。解散した後には煙草の吸い殻が残り、夜がやってくる。 
(1 June 2010, Beijing)

2010年6月8日火曜日

London, June (1)



西ロンドンに2年前に建ったショッピング・センター。驚くほど巨大で、光に満ち、構造的にもかなり高度なことをやっているのに、そこには建築的感動が欠如している。どこかで見たエレメントが再編集されているだけというのは、既視感のあるチェーン店ばかりが溢れるショッピング・センターという存在そのものに似ている。
(31 May 2010, London)

2010年6月5日土曜日

試運転開始

それにしても、都市は面白い。
一度その面白さにとりつかれてしまうと、もういけない。

歴史ある建造物も、人で賑わう大通りも好きだ。しかし一番面白いのは、綺麗に改修された教会や、どこにでもあるチェーン店が軒を連ねる表通りよりも、薄汚れているが、生活の匂いの満ちている裏通りを歩いているときではないだろうか。

都市の素顔が知りたい、と思う。
表向きに整えられた顔ではなく、そこに生活しているからこそ見えてくる、もう一つの街の顔を。



このサイトは、それぞれの街に住むメンバーが、日常のなかで垣間見る都市の素顔をスナップ写真として記録し、集積していくことを目的としています。

毎週一枚の写真をそれぞれの街から更新するのをベースとしつつ、月に一回程度のペースで論考のようなものも書いていければと思っています。また同じフォーマットを他都市で同時に行うことで、比較・検討しつつ、それぞれの街の特徴も探っていけたらと考えています。



尚、現在本サイトを準備中で、このサイトは試運転としてやっています。
そのため変更等が多くあるかもしれませんが、ご了承ください。