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2010年12月16日木曜日

Beijing, December(3)



この写真を見てどういった印象を受けるだろうか。車椅子の男性がタバコをふかしている。が、ここは公園ではない。公園ではないと言ったのは、ここはとある観光地の入り口広場であり、そこに近所の人たちがたむろしている光景なのである。しかしこの光景は公園で見るものと変わりない。公園は決して行為によって定義できるものではないか、あるいは都市における固有の役割を担っているわけではないのではないか。公園と呼ばれる場所の必要性について。

(Beijing, December (3), by Taketo Nagaoka)

2010年12月8日水曜日

Beijing, December(2)



Tiananmen Square had to go through the security check. Gates are provided for it in several places. Visitors entering from the gate, taking pictures in front of a portrait of Mao Zedong, and walked toward the gate and people. Many purposes (behavior) is common, and more, ① they are not admitted without permission , ② should abstain flashy action, ③ with a square background (Tiananmen Square protests of 1989, etc.), ④ government facilities surrounded the square , Mao Zedong's portrait hung, and require a security check, despite conditions that are patrolled by guards, no rules seem at first glance might look around 900m × 500m square so that the scales.

天安門広場には手荷物検査を通過しないと入れず、そのためのゲートが数箇所設けられている。観光客はゲートから入り、毛沢東の肖像の前で記念撮影をし、また方々のゲートに向かって歩いていく。多くの人の目的(行動パターン)は共通し、更には①許可なく立ち入れない、②派手な行動は慎む、③広場の持つ背景(天安門事件等)、④政府施設が広場を取り囲み、毛沢東の肖像が掲げられ、手荷物検査を必要とし、警備兵が巡回するという状況下であるにも拘わらず、一見無秩序に見えるのは約900m×500mという広場のスケールがそう見せるのか。

(Beijing, December (1), by Taketo Nagaoka)

2010年11月30日火曜日

Beijing, December(1)



Adults play around with it can often find it borderline. But it is not aware of children to adults. As the world continues to look very smooth. There is space for the children but this must have been deployed. Recall that it was so mind when I was children myself. Therefore self-contained but can be anywhere in the playground. Only seem to create a false sense that it is smoothly connected with the world.

往々にして大人が何かしらをして遊ぶその周囲にはそれとわかる境界線ができる。しかし、子どものそれは大人には認識させない。とても滑らかに世界と続いているように見える。しかしその実、この子たちの宇宙がそこには展開されているに違いない。自分が子どもだったころを思いだすとそうだった気がする。極端に内側を向き自己完結しているが故に、場所を選ばず遊び場にしてしまえる。それが滑らかに世界と接続されているように見える錯覚を起こさせるに過ぎない。

(Beijing, December (1), by Taketo Nagaoka)

2010年11月23日火曜日

Beijing, November(4)



This square is located about 90km west of Beijing in the distant village of Cuan di xia cun. Changes the width of the road, the road remains clear boundaries have changed into the square and return to the road further. Courtyard houses are surrounded with a square courtyard of village. As an apartment building in urban areas and cities have no direct connection to housing (in this case to city hall) has a garden for each dwelling unit inward, holds open the space by going in stages Seamless Square.

北京から西に約90km離れた爨底下村という集落の中にある広場。道が幅を変え、明快な境界を持たないままに広場へと姿を変え、さらに道へと戻っていく。この広場の周りには四合院住宅が並び、それぞれに中庭を持つ。都市部に見られるマンションのように、住宅と都市が直接接続することなく(共用廊下は既に都市とする)、各住戸に内向きの庭を持ち、段階的に空間を開いていくことで成り立つ、(街にとって)シームレスな広場。

Beijing, November (4), by Taketo Nagaoka

2010年11月9日火曜日

Shanghai, November (2)



The England Pavilion is located in the centre of noise at Shanghai Expo, which has the record breaking number of visitors in the history of Expo. The ground is ramped to create the pavilion as a centre and make the background less visible. There is comfort by turning our faces away from the hustle and bustle. It feels similar to being at home during a sunny day when we have cold, something like being outside of various activities. This is different sort of comfort from Piazza del Campo, although both of those are composed of slopes.

上海万博の敷地内にある英国パヴィリオン。万博史上最多入場者数を更新する喧騒の中、刺激的な建築を中心に配置し、地面には傾斜をつけ、周囲に背を向け敷地内で完結する空間を作り上げる。ここには喧騒を背にすることで得られる心地よさがある。それは、風邪をひいた時に昼間に家にいるような、いろいろな活動の外側にいる感覚に近い。同じく傾斜のついたカンポ広場とは別の要素がこの場の心地よさを形成している。

(November 2010, Shanghai by Taketo Nagaoka)

2010年11月2日火曜日

Beijing, November (1)



It is natural that people are everywhere. Some of them are alone while some are in groups, some are intimate while some are standoffish, some are taking rest but some are moving. Where I stand is this side, of course, not the other side. However in this case, I will be recognized as an outsider to them. It means that the effect of their side influences this side, so even though I am on this side, I realize that I have some consciousness on the other side as well. It makes an involved person and an outsider at the same time, as well as allowing exchange between them.

あたり前だが、いたるところに人はいる。一人であったり、集団であったり、親密だったり、よそよそしかったり。休憩中だったり、移動中だったり。僕が立っている場所は当然向こう側ではなく、こちら側である。しかし、この場合、彼らにとって僕は部外者として位置づけられる。その効果はこちら側にまで及び、こちら側であるにもかかわらず、僕は向こう側にいることが認識される。当事者と部外者をつくり、かつその交換を可能にするものについて。

(November 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年9月22日水曜日

Beijing, September (2)


北京では塀に囲まれた集合住宅をよく目にする。塀に囲まれていない場合は、一階は生活用品店や飲食店、煙草屋、散髪屋、成人保健(adult shop)等で構成されている。四合院か城郭都市の流れからか、目に見えてゲーテッドコミュニティを反映したつくりになっている。それでいて閉鎖的な雰囲気を感じないのは、住宅の構成とは別の理由(中国人はオープンな気質?)か、僕が全くのよそ者だからか、ただ鈍感なのか。いずれにせよ、構成とそこに漂う空気は別物なのかもしれないことを感じ始めている。

(September 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年9月14日火曜日

Beijing, September (1)



「九号温泉」の看板の手前まで続く建材市場の石材区。他には木材やサッシュ、ドアハンドル、工具などが手に入る。建材市場には、設計に携わる人間に限らず、マンションを購入した夫婦らも内装材を調達しに来る。数学や物理と同様に建築は全ての人間が関係者である。建築をつくることに直接関われる場所が市内に幾つもあるのは興味深い。とは言え、ここで夫婦らが見ていたのは、建築というよりはIKEAで扱われる家具のように彩りを添えるもの。僕たちはこの日、都市に彩りを添える外装材の検討をしていた。

(September 2010, Beijing by Taketo Nagaoka)

2010年7月7日水曜日

Beijing, July (1)




オルドスの郊外。やがて、政府による用途計画に基づき、公共施設や商業施設、住宅が建設されるのだろう。政府→建築家ではなくディベロッパー→建築家という流れのなかで、商業施設の公共性について、建築家は真面目に考える必要がある。生活者としての都市の中心は、官庁街ではなく、三里屯や西単のような商業地域なのだ。
(29 June 2010, Ordos by Taketo Nagaoka)

2010年6月20日日曜日

Beijing, June (2)



庭を取り囲む伝統的な住宅形式である四合院。多くの人で賑わう世界最大の広場である天安門広場は無料で利用できる。農村であった地を整備した朝陽公は入場に5元(年間パス80元)が必要である。北京に来てこの2ヶ月で訪れた限りでは、庭は無料で特定の人々で共有され、広場は無料で不特定多数の人と共有され、公園は有料で不特定多数の人と共有されるようだ。
(15 June 2010, Beijing, by Taketo Nagaoka)

2010年6月10日木曜日

Beijing, June (1)

これまではランダムに撮った写真をアップしてきましたが、これからしばらくテーマ制を導入してみようと思います。共通したテーマを持ちながら異なる都市の日常を撮ることで、その差異性を浮き上がらせることができるのではないかと期待しています。一、二ヶ月やってみて、最後にまとめとして論考を書いてみる予定です。

第一回のテーマは「公園」です。
このテーマに沿った一枚目が北京から届きました。



左手に椅子を、右手に煙草を持ち横断歩道を渡る老人。向こうの集まりに行くのか、それとも帰るのか。陽炎のように儚くはない、繰り返される都市のアクティビティ。現れては消えるのか、消えては現れるのか。解散した後には煙草の吸い殻が残り、夜がやってくる。 
(1 June 2010, Beijing)

2010年5月30日日曜日

Beijing, May (3)


煉瓦の建物の向こうにはCCTVが建ち、CCTVの奥には鉄骨がむき出しの碑と化しているTVCC。過去と未来と現在。それらは常に同時に存在しながらも、お互いに一定の距離をとる。不謹慎ではあるが、なんとも刺激的な姿が北京の中心で見られる。
(23 May, Beijing)

2010年5月23日日曜日

Beijing, May (2)



建外SOHOからみんなよく行く大食堂への途中の路上には、服や果物、植物、手帳、CDが売っていたり、さまざまな機能がミキシングされた状況を目にする。彼らは自転車でやってきて、昼時を過ぎるとさっといなくなる。こんな短時間の売り上げで食べていけるのだろうか。うらやましいな。なんて心配しながら、とても自然なプログラム配置に感心する。(17 May 2010,Beijing)

2010年5月16日日曜日

Beijing, May (1)



自転車を挟んで老人が二人座っている。荷台の上には碁盤の目状に赤い線が引かれた木製の板と駒。ルールのわからない賭けごとしている。碁盤の目状に道路が走る北京のまさにその上で、人々はなんのことはなく賭けごとをやる。たくましい限りの光景と同時に都市への疑問が浮かび上がる。本当に都市の計画などできるのだろうか。
(16 May 2010, Beijing)