毎日通勤で使う地下鉄駅のポスター張替え時に見えた地肌。駅の110年の歴史を物語る年輪のような模様。人口のもの、それも商業関係のものはしばしば軽蔑の対象となるが、一世紀という時間はポスターのはぎ残しにすら人為を超越したような迫力を与える。人工物も、長い時間を経れば自然の造形物に近づいてゆくのだ。 (27 May 2010, London)
建外SOHOからみんなよく行く大食堂への途中の路上には、服や果物、植物、手帳、CDが売っていたり、さまざまな機能がミキシングされた状況を目にする。彼らは自転車でやってきて、昼時を過ぎるとさっといなくなる。こんな短時間の売り上げで食べていけるのだろうか。うらやましいな。なんて心配しながら、とても自然なプログラム配置に感心する。(17 May 2010,Beijing)
自転車を挟んで老人が二人座っている。荷台の上には碁盤の目状に赤い線が引かれた木製の板と駒。ルールのわからない賭けごとしている。碁盤の目状に道路が走る北京のまさにその上で、人々はなんのことはなく賭けごとをやる。たくましい限りの光景と同時に都市への疑問が浮かび上がる。本当に都市の計画などできるのだろうか。 (16 May 2010, Beijing)
観光客で賑わうピカデリーサーカスの裏路地では、大規模な再開発がすすんでいる。古い建物の構造は全て壊され、純白の鉄骨が新たに立ち上がろうとしている。しかし、繁華街に近い面は昔の表情を保つために、ファサードだけ保存されている。皮をはいで剥製を作っているようで、設計に携わるモノとしてあまり良い気分はしないが、建築的ロボトミーがはっきり見てとれる瞬間だ。 (15 May 2010, London)